武田泰淳「ひかりごけ」

 投げやりに眺めやったさきの一角でだけ見える「ひかりごけ」。これを見学した私たちは村へもどり、校長の話を聞きました。遭難しかけた話、登山の苦労、人肉を食べた男の話・・・人肉を食べた?私の作家としての感覚が、この話に引き寄せられたのを感じました。読者に歓迎されそうにない題材に文学的表現を与えるため、後半は「読む戯曲」が開幕。

ひかりごけ (新潮文庫)

ひかりごけ (新潮文庫)

 美しい「ひかりごけ」を探訪するための旅小説が、「人肉食い」という話に出会ったことから一転します。それも構成まで切り替わってしまうのです。後半は全く味わいの異なる、サスペンスフルな本格戯曲。気持ち悪いイメージを押しのけた先にある、人間心理の本質を見極めようとした作品。
 それは「なぜ食べてはいけないのか」から、「なぜ食べざるを得なかったのか」へとカーブしていきます。意志の固い人間が決意して行った行為は、それに対する批判にも「我慢」することでしょう。極限状況における人間心理の洞察に、前半で語られた「ひかりごけ」が絶妙に絡んできます。センスのいい話です。