埴谷雄高「追跡の魔」

 逃げつづける夢、というのがある。そこでは誰もが「決定的な大罪」を犯した者であり、暗黒の追跡者から逃げつづけるのである。この夢は、私にめざましい啓示を与えた。いつまでも逃げつづけられれば、すなわち夢を見つづけるならば、やがて宇宙の果てへ辿りつけるに違いないのだ――。以来、私は夢を断続的に見るための工夫をし始めた。

闇のなかの黒い馬

闇のなかの黒い馬

 埴谷雄高ドストエフスキーと同様にユーモアをもった作家だと思っているのですが、それはこんな作品を書いているためです(ちなみにドストエフスキーでは「悪霊」が笑える)。
 この主人公は念願の「追われる夢」を見たいがために様々な工夫をこらすのですが、マジメな口調で語られるだけに、それがどうにも可笑しいのです。こういったユーモアセンスは個人的に大好きです。「不意と後ろを振り向く」行為が、自らの立場を追われる者にし、追う者の存在を出現させる――こういうレトリックに面白さを感じる人にオススメです。
 それにしても、クライマックスで展開されていく、広大なスケール感はものすごい。主人公vs追跡者の「存在の対決」が究極の場所において行われます。笑って油断していると、埴谷哲学にやられるという、良い例。

 それは、夢を唯一の「手段」として、闇の果て、宇宙の果てへひそかにゆきたがっている私にとって、確かに、一つのめざましい啓示なのであった。