埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」

 真夜中過ぎ、遠い虚空から一匹の黒馬が駆けおり、鉄格子のはまった高窓から音もなく乗りいれてくる。黒馬の柔和な目に誘われて尾の先を握りしめると、ふわりと浮いた私の体は暗黒の虚空へ向って進みはじめた。もしこの手を放さなければ、《ヴィーナスの帯》を越えて《闇の果て》まで行ける――。

闇のなかの黒い馬

闇のなかの黒い馬

 黒馬の尾につかまり、主人公は《闇の果て》へと向います。その先には「闇ではないもの」が存在するはずですが、それは「全くの無」であるのか「光」であるのかは、行ってみるまで分かりません。それでも、彼は行くのです。その先に待っているのが絶望であったとしても。それは、彼がすでに、絶望よりも下位に位置しているため。
 真夜中の闇に進入してきた黒馬の姿は、普通に考えると見えるはずはありませんが、眼を用いないことでその「存在」を感じとることが出来るようになります(北野監督の映画「座頭市」にもあったもの)。存在に形を与えるために行うことは、念じること以外はありません。光の存在を信じることです。光は必ずあるのです。
 個人の意識が宇宙規模に広がる思想と夢、そして生命力が混在した面白い作品です。谷崎潤一郎賞受賞作。

 《暗黒――それは、光の批判者であるのか、それとも、存在の最後の過誤であるのか》