椎名麟三

椎名麟三「罪なき罪」

飼い犬に向かって、いつものように「おまえだけだよ、私の言うことを分かってくれるのは」と嘆いていた志津は、背後から子供に声をかけられた。「おばさん、死にたいの?」志津は、つまらない気がして云った。「そうよ、・・・おばさん、死ねたらと思ってい…

椎名麟三「ある不幸な報告書」

石本家では税金滞納により家具一式が差し押さえられた。妻・とり子は、家が彼女の家ではなくなったように感じられたが、国家権力により認められた家具により、石ころのような自分たちにも光を当ててもらえた思いもした。まもなく、夫の浜太郎ら一家四人が帰…

椎名麟三「時は止まりぬ」

何故こうなったのか判らないが、ただ一つ確実にいえるのは、僕は死んでしまったということなのだ。こんな人生は耐えがたい、それは発狂しそうな気さえするほどだ・・・。人生に意味を失なった僕は、無意味に過ごした映画館の中で、暗い眼をした女を見つける…

椎名麟三「懲役人の告発」

懲役人としての過去を持つ長作は、社会と自分の人生から外れ、肉体の支配者からも外れて生きているのだ。過去が重くのしかかっている。「前科者!」と叫ぶ弟や、直接口を利いたことがない継母らは、彼の現在を過去ごとぶっ刺したままだ。生きながら死んでい…

椎名麟三「自由の彼方で」

情けなくていやらしい清作は、レストランで働きながら、自分が何をしたいのか、さっぱりわからないと考えていた。ああ、どうしてぼくには幸せがこないんだろう!と裏の空地で涙していたが、そもそも幸福とは何なのかということについてさえ、具体的なことは…

椎名麟三「媒酌人」

従妹の夫である伊川民夫が突然我が家に転がり込んできた。聞けば、叔父を殴ったために村から追い出され、妻とは別居し行くあてがなく、東京に行けば仲人をしてくれたおじさんがいるし、そう思ってやって来たという。だが、私は彼とは結婚式の日に一度会った…

椎名麟三「深尾正治の手記」

全く僕はどうかしてしまったのだ。まるでこの宿に百年もいるような気がするのだ。自分が追われているという切実感もない。ここは永劫の牢獄である。しかも僕はいつまでここにいるのかも判らない。そしてなぜか僕はここの住人との関係がうまくいかないのだ。…

椎名麟三「神の道化師」

「世間の恐ろしさ」を父親に叩き込まれて育った準ニは、「社会という権威ある王城」を恐れていた。ところが、16才のとき、予定外に家出してしまった彼は、不本意ながらも「社会」に暮らすことになった。身寄りのない彼が向かった先は、浮浪者が集まる無料宿…

椎名麟三「深夜の酒宴」

スレートの屋根から落ち続ける雨垂れの音が、僕の心をますます憂鬱にするのだ――。井戸の底のようなアパートに住む僕の運命は、絶望と死によって決定付けられているのだ。僕は何もすることが出来ない。将来も今日と同じ道を繰り返し歩くだけだろう・・・ああ…