深沢七郎

深沢七郎「笛吹川」

「死んで、あんな所に転がせて置くなんて」。おけいは表に出ると、片目で土手の方を睨んで歩き出した。勝やんはまだ死んでいない気がしたのである。右の手で左の腕をさすりながら、側へ行って顔を覗き込んだ。着物はズタズタに斬られていて、身体中が血だら…

深沢七郎「因果物語―巷説・武田信玄」

武田信玄は三百五十年も前に死んだ人なのである。けれども甲斐の国の百姓たちにとっては、今でも立派な人といえば信玄公よりほかにいないし、偉い人というのも信玄公よりほかにはないのである。水騒動や税法の一件のときも、村人にとっての「シンゲンコー」…

深沢七郎「みちのくの人形たち」

みちのくに住むヒトに誘われて、私は東北に行ったのである。そのヒトは家など一軒もないような山に住んでいた。どういうわけかこのあたりの人たちは、三十五、六歳のあのヒトを「ダンナさま」と呼んでいる。食事が終った頃、青年がやってきて「産気づいたか…

深沢七郎「楢山節考」

おりんはこの冬に楢山に行くことを決めているのである。その山はとても遠くにあるのである。村は食料が乏しいために、家族が多いと冬を越せないのである。でもまだ秋である。この年になっても元気なおりんは、自分の年寄りらしくない姿が恥ずかしかったので…

深沢七郎「おくま嘘歌」

おくまは数えどしなら64で、「ワシなんか、厄介者でごいすよ」とよその人には言うのだったが、腹のなかでは(まだまだ、そんねに)と思っているのだった。おくまは葱も茄子もダイコンもトマトもジャガ芋もいんげん豆も作っているうえに、鶏を30羽も飼って…