長谷川四郎「勲章」

 この大隊は旧軍隊の秩序をそのまま保持しており、佐藤少佐はシベリヤ天皇として特権的な生活を送っていた。しかし、本人はさほど意識していなかったようだが、彼も所詮捕虜であった。或る日着任してきたロシヤ人将校は、少佐と兵隊たちに権力がいずこにあるかを知らしめた。少佐が頼りにしていた軍の権制は崩れつつあったが、少佐自身は事態を都合よく解釈する性質の持ち主だったのである。

 大隊の前に立つ、一人の男。天皇陛下から授かった勲章をいくつもぶら下げた、プライド高き佐藤少佐。しかし、彼の隊は現実においてロシア軍の捕虜に過ぎず、塀の中での体制維持にやっきな姿は、滑稽で哀しいものとして写ります・・・。連作短篇「シベリヤ物語」中の一編です。
 少佐は輝かしい過去を引きずり特権を駆使し、捕虜の間に軍隊的規律を保っていました。その存在は、敗戦後の天皇に喩えられますが、ある出来事を期に「老いた祖父」という一個の人間に墜落します。その過程が小さなエピソードの積み重ねとともに描かれるのですが、プライドを守るために満足の程度を引き下げていく様子が哀れです。
 また全体を通してですが、ユーモアのある温かみと、流れを動かさない冷徹な目が、作品の流れをブレなく決めているように感じました。運命に左右される哀れで愚かな「天皇」、彼の滑稽な虚勢を通して、組織の中での人間の表情を描いた優れた作品です。

 一番先頭の者にはもう海が見え、船の煙突が見えて来た。しかし佐藤少佐には、ただ足下の凍った大地と前を行く者の背中しか見えなかった。