坂口安吾「イノチガケ」

 信長に保護され、秀吉に蹴落とされ、家康に止めを刺され、切支丹は完全に国禁された。海外からは情熱を抱いて浸入する宣教師が絶えなかったが、遊ぶ子供の情熱に似た幕府の単調さは、彼らの迫害を行い続けた。火あぶり、氷責、斬首、穴つるし、島原の乱鎖国の施行。一七〇三年にヨワン・シローテがゼノア港を旅立ったとき、日本切支丹は既に全滅していた。

信長・イノチガケ (講談社文芸文庫)

信長・イノチガケ (講談社文芸文庫)

 時の権力のすう勢によって、保護されたり迫害されたり・・・キリスト教は日本の歴史において、絶えず政治の道具にされてきました。そんな中にあっても宣教師達は決して「日本」を諦めることなく、未開の地であることがかえって使命感を燃やさせたのか、自らの命と引き換えにこの地を訪れます。日本切支丹が全滅してから数十年後、ヨワン・シローテがやってきました。闇にまぎれた布教活動ではなく、徳川将軍に直談判しようという意気込みで。しかしその前に立ちはだかったのは、新井白石の尋問でした。
 人々に多く感動を与えたのは、死を目前にしたときの彼らの意志の強さです。人間が自らの本当の感情に気づくのは、他の人間がとても大変な目にあったとき。そのときの対処法を目の当たりにすることによって、見ず知らずの他人の場合は同情や憐憫などが、知っている人の場合は友情や愛などが生まれます。宣教師たちのバックボーンたる理屈を超えた意志の力は(決して国際的には通用しない)自分たちのみに通用する内向きの論理を守ることに躍起で、(本質を捉えることよりも誤字脱字の訂正にやっきで)揚げ足取りが好きな日本人の理解の枠を大きく超えたものです。