坂口安吾「古都」

 ただ命をつなぐだけ、それでいい――。恋に破れて絶望した私は、東京に住むことが出来なくなり、京都に行き着いた。宿にしたのは、地の果てのような末路にふさわしい場所であった・・・。宿の親父らと碁会所を作り、囲碁で先生と呼ばれるようになる。しかし、原稿用紙にはほこりが積もり、酒を飲み、碁に打ちこむ毎日の無駄。考えることさえなければ、なんという虚しい平和であろうか。


 東京から「落ち延びた」人間の自暴自棄な様子が、ユーモラスな描写の中にも、極めて率直に綴られます。囲碁に熱中すればするほど、その内面では「俺は何をやってるんだ」といった気持ちが生まれたはずですが、それでも絶望をかみ締めるために、あえてその場所に身を浸したのでしょうか。ともかく、後年の坂口安吾の誰にも屈しない強靭な精神は、この傷心のうちから育っていったようです。孤独の作業を続ける人間はたくましくなる、そのことの見本。

 親父の方は、五尺に足らないところへ、もう腰が曲っている。まだ六十だというのに七十から七四五としか思われぬ。皺の中に赤黒い顔があって、抜け残った大きな歯が二三枚牙のように飛び出している。歩く時には腰が曲っていないのだが、先ず一服という時には海老のようにちぢんでしまう。部屋にぐったり座っているとき、例えば煙草だとか、煙管だとか、同じ部屋の中のものを取りに行く時が特にひどくて、立ち上って、歩いて行くということがない。必ず這って行くのである。這いながら、うう、うう、うう、と唸って行く。品物を取りあげると、今度はそのまま尻の方を先にして元の場所へ這い戻るのだが、やっぱり、うう、うう、うう、と唸りで調子をとりながら戻ってくるのだ。年中帯をだらしなく巻き、電車の踏切のあたりで、垂れかけた帯をしめ直し、トラホームの目をこすり、ついで袖の先で洟をこすっているのだ。