2005-01-01から1年間の記事一覧

横光利一「面」

吉を、どのような人間にしたてるかということについて、家族間で晩餐後、論議されていた。大阪へやるほうがいい、百姓をさせればいい、お茶わん作りをさせるといい・・・。その夜、吉ははてのない野の中で、口が耳までさけた大きな顔にわらわれた。以来、吉…

太宰治「女生徒」

あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。朝は、なんだか、しらじらしい。朝は、意地悪。眼鏡は、お化け。私の目は、ただ大きいだけで、がっかりする。私はほんとうに厭な子だ。そう言ってみて、可笑しくなった。美しい目のひとと沢山逢ってみたい。けさか…

壷井栄「坂道」

堂本さんは二年前にはじめて家にやってきました。ご家族がなくなってひとりぼっちになったため、家をたよってきたそうです。堂本さんは本当の家族のようでした。この頃、お父さんは仕事探しを半分あきらめて、あまり良くない仕事につきました。けれども若い…

宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」

グスコーブドリは、イーハトーブの大きな森のなかに生れました。ある年、森は飢饉におそわれて、大切な穀物も一つぶもできませんでした。お父さんとお母さんはいなくなり、妹のネリも連れていかれてしまいました。ブドリは泣きましたが、与えられた仕事をい…

井伏鱒二「大空の鷲」

御坂峠の空を自由にとびまわり、下界を睥睨する鷲がいる。茶屋の人たちは、この鷲を御坂峠のクロと呼んでいる。あるときは大きな魚を、あるときは猿をくわえ、クロは諸所方々にある根城にもっていく――。横着な監督に率いられた映画の撮影隊がきた数日後、東…

横光利一「春は馬車に乗って」

「俺はこの庭をぐるぐる廻っているだけだ。お前の寝ている寝台から綱をつけられていて、その綱の円周の中を廻るだけだ」「あなたは早く他の女の方と遊びたいのよ。あたしは死んだ方がいいの」。これは「檻の中の理論」である。檻に繋がれた彼の理論を、彼女…

井伏鱒二「屋根の上のサワン」

猟銃に撃たれて苦しんでいる雁を見つけた私は、丈夫にしてやろうと決心し、さっそく家に連れて帰りました。勘違いして騒ぐ鳥を押さえつけて手術を施し、一安心です。順調に回復してきた人なつこい鳥に、私はこれにサワンという名前をつけました。そして、秋…

井上友一郎「受胎」

漫才師の草八と偶然再会したとき、わたくしたちは上機嫌で飲み、彼は芸界の辛酸についても語ってくれた。そして彼は、せっかく板についてきた漫才師の職を投げ出してまで、浪花節をやりたいというのであった。いったいどういうことだろうか。草八は語りはじ…

丹羽文雄「厭がらせの年齢」

八十六になるうめ女は、家の中で迷って夜中でも助けを呼ぶ。悪意なく、すきを見せると盗みをはたらく。ひがみからか、客の前で「助けてくださいよぅ」とあわれな声を立てる。食事の量は減らず、そもそも食事したことを覚えていない。「ところで孫たちとして…

安岡章太郎「蛾」

私は医者を好まない。それは私の身体を、他人に知られることが不愉快だからであろう。近所には芋川医院があるが、まったく流行していない。きっと彼も私と似ているのだ。医院が流行らないことが近所や家族に恥ずかしくてならず、あんな奇怪なことをしでかし…

武田泰淳「異形の者」

私はうまれつき自立独立の精神が欠けて居り、かつその他にすべきこともなかったため、寺に生れた者にとって一番安易の路を選んだのである。だが女を熱望する以上、僧侶になりきることはできぬと思った。彼女らがそり落とした頭を見るときの、瞳のおびえは当…

太宰治「新樹の言葉」

がぶがぶのんで、寝ていたら、宿の女中に起こされた。乳母の子供の幸吉さんが、わざわざ訪ねてきてくれたのである。ああ、これはいい青年だ。私にはわかるのである。ただ、大変ひさしぶりに会ったのに、ごろごろしているところを見られて、恥ずかしかった。…

大江健三郎「河馬に噛まれる」

僕はある日、アフリカで日本人の青年が河馬に噛まれて怪我をしたという新聞の記事を読んだ。「河馬の勇士」と綽名されるその男は、かつて僕とわずかながら関わりのあった青年で、彼のアフリカ行きには僕にも責任があるようだ。彼との関係のはじまりは、彼の母…

小林秀雄「中原中也の思い出」

中原は生活に密着した詩を書き、悲しみの救いを悔恨のうちに求め、告白した。しかし告白は、新たな悲しみを作り出す事に他ならなかった。自分の告白に閉じ込められ、出口を見付けることが出来ずにいた。それは彼の誠実のためだ――。現代の随想 5 小林秀雄集作…

壇一雄「降ってきたドン・キホーテ」

一月元旦。変り映えのしない年賀状の中に一通、馬鹿デカイ封筒が混じっていた。これこそは誰あろう、ラ・マンチャの騎士ドン・キホーテ氏からのものだった!どこかの大統領が会見を申し込んできたのとはわけが違う。偉大なる騎士をどのように迎えるか、浴び…

夢野久作「死後の恋」

さぞかしビックリなすったでしょう。アハアハアハ。イヤ、失礼しました。誰でもいい、タッタ一人でいいから、私の話を肯定してくださるお方があったらと思って、貴下を発見けたのです。あなたこそ、私の運命を決定して下さるお方だと信じたのです。私の話を…

横光利一「時間」

リーダーが金を持って逃げたために宿代が払えなくなった芸人一座。さらに1人逃げ、2人逃げ、残った者は私を含めて12名の男女。「これ以上の抜け駆けは許さない」と互いを監視し、「逃げるときは一緒だ」と脱出の相談を始める・・・。降り続く豪雨の中、動物…

武田泰淳「第一のボタン」

近未来。死刑囚スズキは、ある日、司令部に呼び出されて「ボタンを押す」という司令を受けた。あまりにも簡単であっけない仕事である。意志をもたない愚かなスズキは、さほど考えることもなく、指令通りにそのボタンを押す。それは戦争相手の首都を破壊する…

野坂昭如「マッチ売りの少女」

木枯しに身ふるわせて、マッチ一つすっては股のぬくもりをむさぼっている。タオルの寝巻きに泥と脂にまみれた半天一枚、半分坊主のざんばら髪に、頬はげっそり、姿かたちは五十過ぎ、けれども実はまだ二十四歳。「お父ちゃんお父ちゃん」とちいさくさけんで…

獅子文六「てんやわんや」

私は犬丸順吉、29歳。謙遜ではなく、平凡な人間であり、そして全てによく服従する。それが私の性格であり処世の術である――。影で愚痴っても面と向かっては何も言えない、サラリーマン的悲哀を見せる主人公が、敗戦直後の1年間をいかに過ごしたかを生真面目(…

埴谷雄高「意識」

不整な脈拍が止まった後、再び動き出した鼓動を聞いても、私は安堵の気持ちはかけらほどしか持てず、生の単調さを悟ってしまった感がある。鼓動が停止したときに、私は絶望と愉悦を感じるのだろう。だが、いまは駄目なのだ。私は、蹴飛ばした小石が転がる方…

堀田善衛「ルイス・カトウ・カトウ君」

ルイス・カトウ・カトウ君は、キューバで私についてくれた現地ガイドである。このカトウ君、日本語の読み書きはほとんど出来ず、町の様子にも通じていない。けれども「アチーネ、アチーモンネ」と繰り返しながら、「ドコサイクカネ」と行こうとしている。そ…

萩原朔太郎「ウォーソン夫人の黒猫」

いつものように仕事を片付け、部屋に帰ってきた時、ウォーソン夫人は何物かが中にいることを直感した。しかし、部屋の中には一人の人間もいなかった、ただ、見知らぬ黒猫が一匹坐っていたのである。全ての出入口は閉まっていたのに・・・。どこから入ってき…

小沼丹「カンチク先生」

ジス・イズ・ゼエムス、これはゼエムスなり。これはゼエムスにて候、でも宜しい。小学校の頃英語の個人教授を受けたカンチク先生は、難しい日本語で訳すのが好みだったのだろう、必ず最初は僕に判り兼ねる訳を附けた。またあるときは、どうしてか判らぬが、…

三浦朱門「傷だらけのパイプ」

落第して当然の学生を前に、福山は評価を下せないでいた。落第することで彼の人生はどうなるのだろう。だが、彼を卒業させたとしても、社会の害毒を生み出すことになるのではないか。また学生は土下座をしながら「許してください」と言ったのだが、許す、と…

井上靖「セキセイインコ」

そのとき私は庭に目をむけて、おや!と思った。二十羽ほどの雀の群れの中に、一羽だけ、セキセイインコが混じっていたのである。色も違えば形も違う。どこからどう見ても別物という感じである。けれども彼らは一緒にやってきて、一緒に西の方へ翔んで行った…

遠藤周作「男と九官鳥」

新入患者が九官鳥を持ちこんできて以来、僕ら患者たちは少し違った午後を過ごせるようになりました。薄笑いをするだけのその患者に代わって鳥の世話をし、婦長の悪口を教え込んだりしました。けれども九官鳥は異様な臭気を発しましたし、何一つ言葉を覚えて…

安岡章太郎「サアカスの馬」

何の特徴も取得もない僕は、担任の清川先生から諦められていた。叱られることもなく、じっと見つめられるのだ。そんなとき僕はくやしい気持にもかなしい気持にもなれず、ただ、目をそむけながら(まアいいや、どうだって)と呟くのだった。そんな少年の前に…

横光利一「機械」

私の家の主人は必ず金銭を落す四十男であり、こういうのを仙人というのかもしれないが仙人と一緒にいるものははらはらしなければならぬものだ。このネームプレート製造所の仕事は見た目は楽だが薬品が労働力を奪っていくのである。私は次第に仕事のコツを覚…

江戸川乱歩「押絵と旅する男」

蜃気楼を見に行った帰りの汽車内には、客はたった一人しかいなかった。その先客は一見四十前後だが顔じゅうにおびただしい皺があり、そして持っていた荷物は生きた人間が描かれた絵・・・。するとその奇怪な男と目があってしまい、私の体は恐怖を感じる心と…