太宰治「女生徒」

 あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。朝は、なんだか、しらじらしい。朝は、意地悪。眼鏡は、お化け。私の目は、ただ大きいだけで、がっかりする。私はほんとうに厭な子だ。そう言ってみて、可笑しくなった。美しい目のひとと沢山逢ってみたい。けさから五月、そう思うと、なんだか少し浮き浮き。着替えて、ごはんをすまして、登校しましょう。

太宰治 [ちくま日本文学008]

太宰治 [ちくま日本文学008]

 太宰治、陽の代表作!身の回りのことだけで成り立っているため、わかりやすく、一方、モラルの押し売りもない。太宰治の全作品の中で最も人当りがよく、万人に好かれる作品なんじゃないかと思います。
 女子学生の頭のなかにパッパッと浮かんでは消える泡のような考えごと(と言えないようなことも)を、そのまま書き出してみました、という作品です。読みやすくて、比喩の宝庫。感情のパレードが繰り広げられます。立ったり座ったりという行動によって、考える内容も方向もくるくる変わり、ついていくのが大変です。
 人に甘えて頼っていた生活から少し大人になって、いろいろなことを考えて自分を見つめ、心配して悩むことを知り、寂しがったりもする主人公。感性にあふれまくった描写の中に、「自分らしさ・個性」と「普通の人・社会」についての考えなどもほどよく散りばめられていて、きっと共感できることでしょう。

 いやだ。もう、これ以上は厭だ。私は、つとめられるだけは、つとめたのだ。お母さんだって、きょうの私のがまんして愛想よくしている態度を、嬉しそうに見ていたじゃないか。あれだけでも、よかったんだろうか。強く、世間のつきあいは、つきあい、自分は自分と、はっきり区別して置いて、ちゃんちゃん気持よく物事に対応して処理して行くほうがいいのか、または、人に悪く言われても、いつでも自分を失わず、韜晦しないで行くほうがいいのか、どっちがいいのか、わからない。一生、自分と同じくらい弱いやさしい温かい人たちの中でだけ生活して行ける身分の人は、うらやましい。苦労なんて、苦労せずに一生すませるんだったら、わざわざ求めて苦労する必要なんて無いんだ。そのほうが、いいんだ。

女生徒

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