丹羽文雄「厭がらせの年齢」

 八十六になるうめ女は、家の中で迷って夜中でも助けを呼ぶ。悪意なく、すきを見せると盗みをはたらく。ひがみからか、客の前で「助けてくださいよぅ」とあわれな声を立てる。食事の量は減らず、そもそも食事したことを覚えていない。「ところで孫たちとして、お婆さんに孝行をつくすという気にはならないかね?」「孝行て、どんな孝行?」世話をする孫夫婦は、語りあい、考える。

厭がらせの年齢 (新潮文庫 草 17A)

厭がらせの年齢 (新潮文庫 草 17A)

 老人なんてさっさと死ねばよく、醜悪で無価値な存在である―――いつの時代でもどこの国でも、賛否両論必至の問題作。長寿したお婆さんを疎ましく思う孫たちの思惑合戦が描かれます。
 とは言うものの、実はそれは読者をひきつけるためのいわゆる「つかみ」であり、実際の話の主題は、介護システム自体への問題提起にあるのです。数々の辛い介護体験を語り、さらに孔子の言葉を引用した後、「孔子は考えが足りていない」と反論する形で、論理的な肉付けをなしていきます。そして・・・おい、そろそろみんな正直になって、各家庭にみられるこの問題を、根本から解決しようじゃないか?
 さらに話は、アメリカ的老人養護施設について触れたあと、日本の家族制度の批判へと向かいます。古い価値観にしばられるあまり苦しい生活を送るくらいなら、たのしい人生を過ごすためにも、その「しばる存在」を排除してもいいだろう、欲を言えば自発的に立ち退くようなシステムを作るべきだ、と言うのです。
 合理的な生活のために感傷を排除することには賛成ですが、「人間」が絡んできたとき、問題は複雑化します。これは人間が感情を有している限り、解決不能な難題です。

 「日本人の倫理、道徳というものは、ほとんど書物の中に置き忘れになっているようだね。書物を読まない人たちが、それを忘れてしまうのは無理じゃない。」