武田泰淳「第一のボタン」

 近未来。死刑囚スズキは、ある日、司令部に呼び出されて「ボタンを押す」という司令を受けた。あまりにも簡単であっけない仕事である。意志をもたない愚かなスズキは、さほど考えることもなく、指令通りにそのボタンを押す。それは戦争相手の首都を破壊する爆弾の発射ボタンであった・・・。以来、スズキは、B一号と呼ばれてVIPとして扱われ、町のさまざまな場所に出かけていく。

 珍しい武田泰淳のSFです。はじめ、話は「本人の自覚がないまま、突然有名人になってしまった人間」の違和感が、どんな命令にも素直に従う愚かな男とともに描かれますが、次第に、持つ者と持たざる者に完全に二極化された、未来の先鋭化された合理社会の描写に力点が置かれていきます。
 命令に従うスズキの隷属さには「アイヒマン実験」の被験者を思う部分もありますが、彼はそこまで考えこもうとはしません。単純な好奇心を持たない結果の無知ゆえに利用されるスズキですが、その無知を利用する側にこそ問題があるでしょう。その後、人間の利便性が追求されていくにつれ、倫理の制限がゆるくなっていく――そういったことが描かれます。「人間リサイクル場」や「キメラ動物園」や「あらゆる物の陳列場」といった場所として。まるで江戸川乱歩「孤島の鬼」のような場面もありました。
 科学技術が進化するスピードは未だ衰えを知りませんが、中には速さについて行けずに振り落とされる者もいます。疾駆する乗り物から振り落とされたそうした人間を、時代に乗りっぱなしの「保守的な」人間の目線を軸に「落伍者」として突き放して捉えた上で、その存在に目を向けた話ですが、その見方はこの話を心不在で行われる高度化についての警鐘としているように思い、そこに先見性を感じました。

 「なあ、あの石を割ってるみじめな連中を見ろや」と監視人は言った。「あんなことやって一体何の役に立つと思う?何の役にもたちやしないのさ。電気ロオラアが一ぺんガアアッとやれば、あんな道路工事はわけなくできるんだからな。ただあいつたちは、あんなことやってれば、そのうちに人類の敵に自分たちは勝つんだと信じこんでいるのさ。自分たちがああやってこの正義の戦いに立派に役立っていると信じこんでいるのさ。なあ、それでいいじゃないか。それこそ正しい態度だと俺は思うね。どうせ俺たちはたいした役にはたたないよ。或はぜんぜん役に立っていないかもしれない。邪魔なぐらいかもしれない。だけど信じてるんだ。自分たちが政府の命令にしたがって忠実にはたらいてれば、人類の敵という奴は、いつかかならず滅亡すると信じてるんだ。」