横光利一「春は馬車に乗って」

 「俺はこの庭をぐるぐる廻っているだけだ。お前の寝ている寝台から綱をつけられていて、その綱の円周の中を廻るだけだ」「あなたは早く他の女の方と遊びたいのよ。あたしは死んだ方がいいの」。これは「檻の中の理論」である。檻に繋がれた彼の理論を、彼女は絶えず追っ駆ける。しかしその理論の鋭利さは、彼女自身の肺を加速度的に破壊していった。

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

 病気の女と看病する男。彼らの刺々しい会話で始まり、静かな会話で終わる、狭く小さな、美しい作品です。自分が死んだあとの男に嫉妬する女。そんなことあるわけないと、理屈っぽく説明する男・・・。
 カウンターパンチを打ち合う派手な序・中盤が、妻の病勢の変化とともに、考えられないほど静かな展開に移行していきます。そこに、長い冬からようやく春が訪れて――という季節感ある描写が重なる、いい話。極めてシリアスですが、センスの良さと爽やかさを感じさせる純愛物です。

 この曲玉のようなのは鳩の腎臓だ。この光沢のある肝臓はこれは家鴨の生胆だ。これはまるで、噛み切った一片の唇のようで、この小さな青い卵は、これは崑崙山の翡翠のようで

 これは鮟鱇で踊り疲れた海のピエロ。これは海老で車海老、海老は甲冑をつけて倒れた海の武者。この鰺は暴風で吹きあげられた木の葉である