高見順「尻の穴」

 吉行淳之介君と行ったおかまバーで聞いた出来事に、僕はふと友人の「更生させようとして、かえって自殺に追いやった」という言葉を思い出した。そうだ、大観園のことを書いてみよう。人がごった返して異臭漂い、階段下には真裸の死体がいる。毎度のことだから誰も目をくれず、側では淫売婦が商売をしている。憤りと悲しみがたぎるが、しかし、慣れてくると僕の心はもっとさいなまれることを望む。

 如何なものでしょうかというタイトルですが、「おかまvsゲイ論争」からはじまって、戦前の中国・ハルビンの魔窟・大観園の描写へと移る、シリアスな作品です。大物作家によるカルト作品、と言えるかもしれません。
 人間が日々死ぬことが当然というそこは、倫理やモラルというものは欠片もなく、弱肉強食の獣たちの住処、人間界・最悪の場所。
 町の様子、ギャンブルの様子、麻薬中毒患者の様子、そして、徐という男の生活。アブナイ話が立て続けに説明され、新鮮な空気を吸う暇は与えられません。作者は「人間がこれでいいのか」という怒りの感情を外部へ向けますが、一方でむごたらしさ(すなわち刺激)を無意識に求め続けてしまう、自分自身の心の闇を照射します。なぜ善意の発露に留めるだけでなく、そこからさらに闇を照射しなければならなかったのか?それは作者のヒューマニズムと人生経験のミクスチャーだと思いますが、明るさを見失った者が自らの闇に気づくのは当然のことかもしれず、魔窟に浸った人間の必然なのかもしれません。