色川武大「サバ折り文ちゃん」

 顔と胴体が異常に大きく、足が細い。身の丈は二メートル弱。出羽ヶ獄文治郎は、全体の感じが陰気で痴呆的な巨漢力士だった。大正から昭和にかけて文ちゃんの愛称で親しまれ、負けても勝っても日本中の人気者だった。だが、その人気はマイナスのものであり、人々は彼の姿に下等生物の姿を見ていただけだった。相撲以外に生き場所のなかった彼の土俵人生は、協会の内輪揉めとともにあった。

怪しい来客簿 (文春文庫)

怪しい来客簿 (文春文庫)

 連作短篇「怪しい来客簿」中の一作。ただ身体が大きかったというだけの理由で、文ちゃんは嘲笑の対象となり、人間社会から追い出され、土俵の上で生活することになりました。そこは人間界とは別世界。強さが正義となるシンプルな世界。けれども相撲取りを辞めて人間に戻った親方種族は、そこに人間たちの複雑な争いを持ち込みます。そこで最大の犠牲者になるのは、実際に表で働く、親方の弟子たち。中でも、文ちゃん。彼は(マイナスながら)人気者であったがゆえに、また他の世界では生きられないがゆえに、客寄せのパンダとして、人格を無視して利用され続けます。不器用に無様に、しかし必死に生き続ける姿は、哀れ。

 劣等感はまた多くの場合感受性を発達させる。劣等感が土台になって他者の弱さをも理解していくからである。もともと土着性が強く闘争心に富んでいる方ではなかったが、こうしてひどく。感じやすい性格が造られていく。だが、誰もそうは見ない。人は外見で判断する。また外見だけではこのくらい洗練とほど遠い人間も居ないのである。