牧野信一「西瓜喰う人」

 村人が最も忙しいみかんの収穫時、作家の滝は、あの丘の頂きの上で半日あまり熱心に凧揚げをしていた。それも決して呑気な凧上げではない。夢中だ。余はてっきり滝が小説の構想に余念がないと思っていたのに!滝は日ごろ何をして過ごしているのか。滝は書斎の三方をガラス窓に取り替えたので、余は自室からそれを知ることができるようになった。そこで感じたのは、哀愁だった。

牧野信一全集〈第3巻〉大正15年9月~昭和5年5月

牧野信一全集〈第3巻〉大正15年9月~昭和5年5月

 強いライトに煌煌と照らされたガラス張りの部屋、そこで行われる光景は、まるで舞台で行われるパントマイム劇のよう。とても印象的なシーンであり、奇妙なおかしさとかなしさを伴っています。
 「書けない作家」の悩みが、作家と傍観者と記録者に分断されて記され、幻想的な印象を抱かせ、さらにいくつかの謎も仕掛けられ、といったとても複雑かつ面白い作品です。

古井 いや、大変な作家がいたと思いました。
大江 この短編選の中で最上の作品だと思う。
古井 僕もこれが一番です。
(対談:大江健三郎古井由吉「百年の短編小説を読む」、「新潮名作選 百年の文学」所収)

 「(略)――君は、仕事の為で病気になっている。」
 「いや、僕は創作欲には燃えているんだ。」
 「それが形がなくては無理だろう。」と余は、逆に勢いづけるつもりだった。「無を見詰めていたって、徒に神経を衰弱させるだけのことじゃないか。」
 「無というわけでもない……いや、何とかなる。でなかったら、寂しさに堪えられない。
 「じゃ君のこの頃の行動――行動だけが仕事で、あれは寂しさを逃れる方便なんだね。」
 「…………」