壇一雄「母」

 父の奮闘のおかげで私には四人の母がいる。その他に、母だかなんだか分からない人もいるのだが、どうでもよい。どの母も父にさんざん殴られていたが、私は、だいたいにおいて満ち足りていた。幸福というやつを信用もしなければ当てにもしない、そして、いつの間に父母のことを遠目にみるようになっていた、私の記憶。四人の母の有様を、記憶のままに淡々と記してみたい。左様、淡々と・・・。


 母についての記憶を追想するエッセイ風の作品ですが、郷愁といったものは限りなく薄められ、ひどく乱暴に、突き放した風に書かれています。母を演じる「役者」が交代しても「殴る父」と「殴られる母」という役柄に変化はありません。涙するためでもなく、父の横暴さを非難するためでもなく、とにかく淡々と、感情移入なく描かれます。それはまるで、親に対して何の愛情も抱いていない子であったかのようであり、事実そうだったのでしょう。