牧野信一「鱗雲」

 昔、この町では百足凧の大きさや豪華さを競った凧揚げ大会が繰り広げられたものであり、子供の頃の私も大いに魅了されたことを覚えている。そうだ、子供たちにあの光景を見せてあげるために、自分の手で百足凧を作ってみよう。だが、作業をはじめようとして、私はふと気がついたのである。頼りになるのは自分の薄れゆく記憶だけで、どうしても細部を思い出すことが出来ないことに。

牧野信一全集〈第3巻〉大正15年9月~昭和5年5月

牧野信一全集〈第3巻〉大正15年9月~昭和5年5月

 現在と過去が行間を開けずにいったりきたりし、会話の対象もぐるぐると変わり、不思議な自由自在さ加減が目立つ作品です。
 世の中には「細部などたいしたことはなく、全体的なイメージが大事だ」という人がいれば、反対に「全体の良さを決定するためにも、大事なのは細部のきめ細かさだ」という人もいます。ここで描かれるのは、完全無欠を求める人間が身もだえする阿呆さ加減。