牧野信一「吊籠と月光と」

 僕は自己を三個の個性A〜Cに分け、それらを架空世界で自由に活動させて息抜きを持つ術を覚えていた。この糸口は、息苦しさで破裂しそうになりながらじっとしていた僕に、インヂアン・ダンスを躍らせたのである。空想させてやるだけで、僕の頭は、ベリイ、ブライト!これが本来の僕の姿だ。これからあれへ、あれからこれへ!

 憂鬱な日々を空想で紛らわす主人公。けれどもそう簡単には離れてくれない現実社会なのですが、酒の力が「なんとかなる・・・かもね」という、希望がありそうななさそうな展開になっていきます。「酌婦」に「ウェートレス」とルビを振った詩人がいなくなった後の自分は、「酒注女」に「さけつぎおんな」とルビをつける野暮な男。そんな小技も最後の最後の最後まで楽しめます。なんだそりゃというユーモラスな語りの中に、寂しさや自由への渇望やら何やらが込められた快作。

 「詩人も続け、哲学者も物理学生も俺に続け――。国境の丘まで見送ろう。」
と僕は叫んだ。そして僕はこんなことを思った。「お前たちを修業の旅に送ってしまった後の、孤独の俺こそ、本来の俺の姿だ。今夜限り俺はお前たちとも縁がないのだ。」