太宰治「ロマネスク」

 むかし津軽の庄屋に、太郎という男の子が生れた。これは生れるとすぐに大きいあくびをし、動くこといっさいを面倒がるのである。彼はいつも退屈そうに過ごしていた。そして、はやくも三歳のときにちょっとした事件を起し、そのお蔭で太郎の名前が村のあいだにひろまった。それは春のはじめのことであった。夜、太郎は母者人のふところからころがりでて、しゃんと立ち、ひとりで、どこまでも歩いたのである。

晩年 (角川文庫クラシックス)

晩年 (角川文庫クラシックス)

 連作3話。世間を退屈でたまらないとして距離を置く太郎、世間に負けまいとして孤独に修行する次郎、世間を渡るために嘘をつきまくる三郎。いずれも人々の常識とは外れ、煙たがられる存在の主人公です。そうした人物に対する作者の応援がうかがえ、彼らが引き起こした顛末がユーモラスに語られます。見え隠れする作者自身の影、段階的に重たくなる出来事の意味など、よく練られた作品だと思いました。

 三歳のとき、鳥渡した事件を起し、その事件のお蔭で鍬形太郎の名前が村のひとたちのあいだに少しひろまった。それは新聞の事件でないゆえ、それだけほんとうの事件であった。太郎がどこまでも歩いたのである。
 春のはじめのことであった。夜、太郎は母者人のふところから音もたてずにころがり出た。ころころと土間へころげ落ち、それから戸外へまろび出た。戸外へ出てから、しゃんと立ちあがったのである。惣助も、また母者人も、それを知らずに眠っていた。
 満月が太郎のすぐ額のうえに浮んでいた。満月の輪廓はにじんでいた。めだかの模様の襦袢に慈姑の模様の綿入れ胴衣を重ねて着ている太郎は、はだしのままで村の馬糞だらけの砂利道を東へ歩いた。ねむたげに眼を半分とじて小さい息をせわしなく吐きながら歩いた。
 翌る朝、村は騒動であった。三歳の太郎が村からたっぷり一里もはなれている湯流山の、林檎畑のまんまんなかでこともなげに寝込んでいたからであった。