大江健三郎「洪水はわが魂に及び」

 樹木と鯨の代理人を自認する大木勇魚は、野鳥の声を聞き分ける五才の少年ジンと、閉じられた核シェルターの中に穏やかに暮していた。そんな彼らの可能性を「自由航海団」の影が開いてゆくが、そこにケヤキ群の「樹木の魂」が語りかけてくる。注意セヨ!注意セヨ!――銃声で飛び立ったムクドリの大群が舞いみだれ、その幻(ヴィジョン)が勇魚を充たす。

洪水はわが魂に及び (上) (新潮文庫)

洪水はわが魂に及び (上) (新潮文庫)

 外との接触を絶って内側を高めてきた人間が、外側の世界と交信することで傷つきながらも自分の可能性を発見します。様々なルールが混ざり合う社会で、それでも自分の幻(ヴィジョン)をもって生きていくということが、その苦しさと、その確かさが、ドストエフスキー的な迫力で描かれています。
 また、この作品の時代背景として、核の問題が強調されています。「北」の保有をよそに核戦争の現実味が薄れ去った現在、それを飛び越して悪化したのは地球環境そのものだったというのは、人間の浅はかな知恵の結果であり、このストーリーは人類に対する皮肉として受け止められる時代になってきました。(なお「勇魚」とは、万葉集においてクジラを指すとされる言葉)

 Young man be not forgetful of prayer.

洪水はわが魂に及び (下) (新潮文庫)

洪水はわが魂に及び (下) (新潮文庫)