木々高太郎「人生の阿呆」

 両親よりも祖母に育てられた良吉は、盲目の愛をうけて育った。或る時は祖母が憎らしくなったこともあったが、それは良吉にとっては、自分を憎むことだった。良吉は父の良三から、小間使いの娘との間に覚えのない嫌疑をかけられて、欧羅巴へ身を隠すことになった。良吉は滅多に自分を語ることはない。実際とは違っていても、人がどう思っていても、自分が正しければそれだけでよく、満足を得ていた。人生の阿呆である良吉は、過去を解き放ち、解き放つ目的のためにも、旅行の準備をすすめていた。ところが比良家に関係した殺人事件が持ち上ったため、この出発は早まることになったのである。

人生の阿呆 (創元推理文庫)

人生の阿呆 (創元推理文庫)

 史上初めて、直木賞を受賞した推理小説として有名な本書。ですが、ガチガチの推理小説としての期待だけで読むと、それは裏切られてしまうことでしょう。むしろ、普段推理小説をあまり読まない方が「本格推理小説という形式」のサワリを楽しむための、これは文学作品です。
 懐かしい気持ち、家族への思い。失ってから気づいても遅いことを、考えさせてくれる良書でしょう。作者自身は自序において、これを祖母文学と位置付けていますが、祖母のみならず家族への愛情文学です。過去の清算のために主人公はシベリア鉄道に乗るのですが、その場面には失われた日への懐かしさを巡らせる旅情が、たくさん感じられました。何でもスピードが速くなった現代日本の都会では、得ることすら難しくなった感情であり、やっぱり旅はのんびりがいい。

 長男――そうだ。総じて将来為す男が、一人前になるためには、いろいろの犠牲、それも、人間の犠牲が、いり用なのだね