安部公房「S・カルマ氏の犯罪―壁―」
朝おきると、胸のなかがからっぽになっていました。ぼくは自分の名前を想出せないことに気づきました。仕事場ではぼくの「名刺」が働いていて、僕の居場所はなくなりました。からっぽなまま家に帰ると、服やネクタイがクーデターを起こして・・・名前を失い、居場所を失った主人公を襲う、予想外の出来事の数々。
- 作者: 安部公房
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1969/05/20
- メディア: 文庫
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朝起きた途端に、名前をなくし、頼るものをなくし、自分に自信を失ってしまった主人公。内面の大事さを考えたこともなく、したがって内面なんて育っていなかったために、外面が失われた途端、彼という人間は壊れてしまいました。フラフラした彼は強力なパンチの連続に、いつまで立っていられるのか。
「自分」を追い求める作者がここで(また、これ以降の作品で)描くのは、「自分を見失うための方法」でしょう。自分を知るためには、自分を見つけなければならず、そのためにはまず自分を失わなければならない―――という逆算がありそうです。
ついこの扉をあければ、壁の上にひらかれた安部君の世界がある。すなわち、諸君の運命がついそこにある。これはどうしても諸君みずからの手をもって扉をあけて下さい。(石川淳「『壁』序文」)