木山捷平「耳学問」

 私は耳学問であるがいくつかのロシヤ語を知っている。オイ。コラ。馬鹿野郎。日本人。陰部。交接。これらの他に「ヤー、ニエ、オーチエン、ズダローフ」=「私は病気である」も棒暗記した。それでも八月十二日、私は現地招集というやつを受け、バクダンをもって戦車に飛び込む練習をさせられたりした。私はあとからあとから溜息が出た。そして、私はまだ日本に帰れない。

耳学問・尋三の春 (旺文社文庫 106-1)

耳学問・尋三の春 (旺文社文庫 106-1)

 とても読みやすく、すーっとした信念を感じる話です。せっかく暗記したロシア語を使うことも出来ず、そして終戦後も日本に帰ることが出来ず、それどころか召集されてシベリアへ送られようとする危機が迫る主人公。最初から最後まで、憤りと怒りを感じて立ち上ってもいいような場面が続発するのですが、主人公は「あーあ」と溜息をもらし、嫌だなあ、と感じながら、静かに拒絶するだけのようにうかがえます。
 けれども決して投げ出したわけでも、諦めたわけでもないようであり、デタラメな軍部に振り回され続けたあげくに獲得してしまった、運命に従順な諦観なのかもしれません。何が起こっても驚かないし、何をやっても(ロシア語を覚えても)無駄だし、結局誰がやっても変わらないよ、という「政治離れ」していく意識をも感じました。まるで飼いならされて従順になったライオンです。

 格別のこともないといってもいいが、やはりこの作者のもち味を生かしたオットリした小説である。(略)昨今のかまびすしい日ソ交渉のニューズのなかにこのささやかな作品をすえてみると、その周囲だけ空気が静かにすんできて、ああ、これが小説作品なんだな、と改めて読者も納得せざるを得ないだろう。(平野謙