帯正子「可愛い娘」
その名高い病院は、なんということもない明るい空の下にたっていた。まるで授業の終った校舎というかんじである。かっぽう着の掃除のおばさんが床をふいている。どうも、かっぽう着は同じところを、ゆっくりと拭いているだけのようだ。私は、待った。まだ同じところをこすっているかと思うと、こわくてうしろが見られない。私は、父のことで相談にきたのである。
どうでもいいようなことに不安を感じ、父思い・母思いの主人公の気持ちのゆれが、ちょっぴり変わったタッチで描かれます。尾崎翠路線、と言えないこともない。とにかく、話がよく飛ぶのです。釈然とした割り算が行われないまま、ストーリーはどんどん進みます。文のつながりはまるでなく、思いついたことをパッパッと喋っている感じ。説明不足の挿話が突然挿入されたりもします。前半のふわふわ感、そして、意外な後半のまとめ方、そのギャップにとても面白いものを感じました。
「おみあしがお丈夫なのはお困りでしょうねえ」
ぽつんと、その人は言った。「わたくしどもの父は足が立ちませんでしたからねえ、それでらくでした」(略)
そうか人間は歩けなくすればいいんだ、ああなってしまっては歩いちゃいけないんだ。そうか、それでまずいんだ。
「ほんとうにそうですわ、足があれじゃこまりますわ」
いちばん健全なところだった筈のその足が、いちばん困ることなのだ、ということになってしまった。
- 安部公房「デンドロカカリヤ」