堺誠一郎 「曠野の記録」

 見渡すかぎり陰鬱な空と、はてしなくつづいている大地――。輸送列車から降ろされた場所は、銃声一つ聞えぬ雪野原であった。お前らの当面の敵は寒さだって、軍医殿がいっていた。しかし退屈でしょうがねえ。訓練だけの日々は士気を低下させていった。せめてソ連との国境でも見えるといいんだが・・・そんな日々が一変したのは、新しく回されて来た岸中尉の存在だ。

 決死の覚悟で飛び出してきたものの、どこにも敵が現われません。兵士たちは肩透かしにあい、次第に心に余裕が生まれてきます。命じられるままに体を動かしてきた彼らでしたが、行動がストップしてしまうことで頭が回転し始めました。考え、悩み、そして、新しい自分の発見。その三段階目に向かうことが出来るのか、それがテーマであるように思えます。ここでは行動と思考が連動しているように感じました。
 この作品の大きな魅力は、兵隊たちのキャラクターにあります。岸中尉をはじめ、「私物命令部隊長」の山口上等兵、酒乱の中林一等兵など、愛すべき兵隊たちがたくさん登場するのです。彼らは酒を飲んで喧嘩して会話して、家族同然に暮らします。この倦怠のうちに生まれた不思議な時の中に、読み手は残らず引き込まれるのではないでしょうか。

 深夜、私はなんど声を立てて笑い出し、涙をふきながら笑いつづけたことか。私はこの兵隊たちとの生活が終ってしまうのが惜しく、チョコレートを割って残しておく子供のように、何日にも分けてこの小説と夜をすごしたのだった。(八木岡英治)

 自分はここにこうやって生きている。信頼できることはただこのことひとつだけだ。

 伊野はそれまで人間を結びつけるものは同じ思想だと思っていたが、そうではなく、ひと口にはいえないが、人間としての誠実さとでもいうべきつながりによるのではあるまいか。