大江健三郎「鳩」

 有刺鉄線に囲われた少年院に、虐げられた心をもつ僕らは暮らしていた。ここは罪や狂気は拡散し、生気を奪い、僕らをよどみに吸いこんでしまうのだ。僕らはすでに老年の《弛緩》をみせていたが、けれども、院長の養子である「混血」には、社会の序列がぎっしりつまっていた。僕らはおだやかな軽蔑の眼で、少年の姿を覗き見ていたが、そこに突如として、野犬や死体の存在がしのびこんできたのだ。

見るまえに跳べ (新潮文庫)

見るまえに跳べ (新潮文庫)

 流れ行く自由な世界は明るさにあふれ、弛緩した停滞する世界は暗く淀んでいます。その境界を仕切っていたのは薄っぺらい羽目板でしたが、あるきっかけで簡単に破れて以降(簡単に破れなければなりません)、停滞する世界から自由な世界へとドロドロとした悪の奔流が生まれます。その流れを求めていた、少年たち。しかし、これはいったん開始されると止めることが難しく、そもそも生み出してはいけない流れなのでした・・・。
 文中の『そのほほえみから醜くなるのもかまわないでほほえむ看護婦』という言葉に、美醜の間を揺れて、白と黒色が交りあっていく、作品世界の姿を感じました。ねっとりとした描写が、いい雰囲気を生んでいます。

 僕らはただ、清掃事務所の低いモルタルの壁からはみ出ている、樽からあけたばかりの汚物のうず高い山、蜜柑の皮や野菜の茎、根かぶを中心にする、ありとある台所の流しからの排泄物を見ることで季節の順調なめぐり、自然の風物の陸盛と衰退とを知るのだった。

『芽むしり仔撃ち』と初期短篇 (大江健三郎小説)

『芽むしり仔撃ち』と初期短篇 (大江健三郎小説)