大江健三郎「運搬」

 僕は仔牛の下半分を両腕にかかえあげ、すべり落ちようとする肉のぶよぶよとした感覚に汗ばみながら、どうにか自転車にくくりつけた。僕らの自転車は夜ふけの町を快い速さで進んだ。僕にとってこれは決して悪い仕事ではない。僕はすべてが快活な状態にあるのを感じ、傭主の声にこたえてたえず陽気に笑っていた。仕事はきわめて順調だった。しかし僕らの背後には――。

見るまえに跳べ (新潮文庫)

見るまえに跳べ (新潮文庫)

 気分よく疾駆する自転車の荷台には、皮をはぎとられたばかりの仔牛が血を流しながらくるまれています。そんな状態でも屈折した気分にならないのは、主人公の心の中が、なぜか、晴れやかであったからです。
 見えるはずのものが見えない「異常な正常」が「正常な異常」を取り戻すためには、いくつかの出来事が必要でした。そしてその先には、スピルバーグ監督の「激突」ばりに、スリリングな展開が待っています。

 しかし挫折の最初のきざしは不意の発作のようにすばやく芽ぶき、たちまち逞しく根をはびこらせる。そしてそれを拒否することが絶望的に難しいこともあるのだ。