大江健三郎「万延元年のフットボール」
僕の生活は下降の限りをしつくして、穴ぼこの中にすでに出口はない。あるのは「恥」の感覚ばかり。弟の鷹四はそんな最低の僕と妻とを、故郷四国にいざなうが・・・待っていたのは、暴力に憧れを抱く青年たち。彼らを煽動する弟と、見る影もない自分。そして聞こえてくる、万延元年の一揆の伝説。
- 作者: 大江健三郎,加藤典洋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1988/04/04
- メディア: 文庫
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自らの悪しき行為を勢いに乗じた理不尽さで認めてしまうことが、自分たちの英雄視化に繋がっていきます。「一揆」の心理を描いただけではなく、新興宗教めいたものも感じました。それでも主人公は自分を変えません。それは冷静で分析的な観察者の目を、正常な視点を、狂気に堕ちて行く小説に与え続けるためでもあるのでしょうか。観察者を持った、アル・パチーノの映画「スカーフェイス」という印象を受けました。
また、本来の欲望をひた隠しに隠し、それをvs権威・権力という構造に摩り替えることで、民衆の支持を仰ごうとする姿が見られるのですが、これは現代の日本人に対しても通用する方法であり、とても面白かったです。
「きみのように劇的な幻影にしたがって生きることを好む者も、もし狂気にでもおちいるのでなければ、危険な緊張をいつまでも持続させることはできない」
- 井伏鱒二「朽助のいる谷間」