島尾敏雄「子之吉の舌」

 ネノと呼びかけても子之吉は振り返らない。弱虫だけじゃなくて横着なやつだ。父親の巳一はそう思った。巳一が手を出して叱ると、子之吉の目におびえが走る。巳一はその表情に愛着を覚えたが、それに反して眼は坐ってきた。二三回振り廻して投げ落としたら、子之吉は、ううっと、へんなうめき声を出し、そのまま動かなくなった。舌が、舌が・・・。

島尾敏雄 (ちくま日本文学全集)

島尾敏雄 (ちくま日本文学全集)

 スリラー。父子の対立は行き過ぎたあげく、舌が、舌が・・・。その間、巳一の考えは、最悪の事態と都合のいい事態との間を行き来するのですが、何分凄まじく緊迫しているだけに、ここに全ての考えを詰め込むわけにはいきません。凝縮せざるを得ません。
 作品がもつ切迫したスリリングさが、文体を極限までそぎ落とし、そして得られた鋭さの中に、殺伐としたリズム感が生まれたように感じました。そしてさらにその切り詰められたものは、思考を異常な方向に持っていき・・・。