太宰治「たずねびと」

 故郷へ向かう列車内はひどい暑さでした。病弱な二歳の男の子は泣き通しでしたし、五歳の女の子も結膜炎を患っています。汚いシャツの父親と、髪は乱れて顔に煤がついた母親と・・・。その列車の中でお逢いしたひとに、再びお逢いしたいのです。そして、お伝えしたい言葉があるのです。「お嬢さん、あの時は、たすかりました。あの時の乞食は、私です。」と。


 飽和した現代には「捨てるくらいならちょうだい」と言う人がいますし、「あなたの善意が人の命を救います」と、まるで『拒否する人に善意はない』といわんばかりの人がいます。物の重さがなくなったことが、物のやりとりの軽さを生んだのでしょう。
 この作品は、逆恨みととらえられかねませんが、生きるためにプライドというものがいかにジャマなものであるか、けれども、そのジャマなプライドがいかに強く生きるために必要であるか――そういったことを思わせる作品です。

石川淳「八幡縁起」

 石別を抱えた山は、高く天にそびえ、茂みは大山となった。土地で山は神であり、その主である石別は山そのものであった。ある日、はるかかなたに丘がうまれ、それは三七二十一日目に山となった。ふもとの土地で新王の隣にそなえた荒玉は、血をこのむ新しい霊峰に鬼神をかかえたのであった。荒玉は諸人に下知して、大軍とともにわれの山に討ちかかる。

紫苑物語 (講談社文芸文庫)

紫苑物語 (講談社文芸文庫)

 石川淳の力量が存分に発揮された傑作。
 はるかなる昔のこと。古き良き穏やかさを望む山と、その穏やかさを撃ち崩そうとする、ふもとの者どもの戦いの図が描かれます。全編にただよう神のイメージ、妖気、壮大なスケール感。そして高ぶるテンションの処理の妙。格好よさにあふれた描写で引っ張り続け、突然の大きな舞台転換により不思議な後味を読者に落とします。
 物語は、まったく意外な形で終盤を迎えるのですが、そこで感じたのは、「信じる」ということについての作者の思いでした。「信じる者は救われる」伝説も、利己的な人間の都合良い解釈は、その信じる対象の存在を変え、名前を与え、意味付けを変えてしまいました。そうやって作られた贋の伝説を、後世の人は無条件に信じます。なぜなら、そうやって教わってきたから・・・。土台を疑え。基礎から疑え。そのためには歴史を鵜呑みにしない目を持つことです。このサイトはその取り組み。

 「われら、いくさは好まぬ。いくさびとは畜類にもおとったやつらじゃ。このあたりの山はやがて下司の血にけがされると見たればこそ、他には移るのじゃ。」

石川淳 (ちくま日本文学全集 11)

石川淳 (ちくま日本文学全集 11)