織田作之助「競馬」

 亡き妻に愛人があったのは気づいていたが、証拠を発見して激しく嫉妬する実直な男・寺田。その相手は、この競馬場にいる!ひしと客席を睨んでみるが、競馬の味を知ることが早く、周囲も呆れる賭け方をする。会社の金も使い込み、その様子はまるで狂ったかのようであり、一番の馬にばかり賭け続ける。それは嫉妬の激しさであろうか、妻の名前は一代であった。

世相・競馬 (講談社文芸文庫)

世相・競馬 (講談社文芸文庫)

 織田作之助の文章にはスピード感があり、ストーリーテリングにはスリルがあふれています。この「競馬」は、そうした彼の魅力が目いっぱい詰まった傑作です。競馬を知っていても知らなくても、迫力は十分に伝わってくることでしょう。
 哀れな男が本来の目的を忘れて理性を失っていく様子と、嫉妬と殺意が絡みあいつつ、怒涛のクライマックスへと突入していく様子が、とても巧みで物凄い。途中、「競馬を題材にした傑作小説はない」という、「アンナ・カレーニナ」を引いた上でのせりふがありますが、作者がトルストイへ向けた挑戦状だと感じ取れて、痛快です。

 払戻の窓口へさし込んだ手へ、無造作に札を載せられた時の快感は、はじめて想いを遂げた一代の肌よりもスリルがあり、その馬を教えてくれた作家にふと女心めいた頼もしさを感じながら、寺田はにわかにやみついて行った。