大岡昇平「捉まるまで」

 マラリアを発病し、アメリカ軍から逃げるうち、私の心は生死の間を行き来していた。情報は錯綜するが私はとうとう動けなくなり、一人で腰をおろし、仲間とはぐれた。敵の存在など既に意識の外にある。水筒は空になり、生い茂る雑草の中で横になった・・・すると、その時、目の前に全く無防備の姿で、一人の若い米兵が現れた。私は銃の安全装置を外した。だが。

俘虜記 (新潮文庫)

俘虜記 (新潮文庫)

 連作「俘虜記」のなかの1編です。緊迫感あるドキュメンタリータッチの戦場描写をたびたび中断するのは、戦場における兵士(自分)がとった行動に対する、恐ろしいほどに客観的な自己分析です。自分自身の行動でありながらまるで他人事のようであり、また、その論理展開の明快かつ緻密さは推理小説の解決編のようなスリリングさを持っています。
 戦争心理についての多くの心理分析がありますが(たとえば、『「人を殺したくない」という気持ちは「自分が殺されたくない」の裏返しに過ぎない』)、これはオリバー・ストーン監督の「ベトナムもの」でもたびたび描かれ、そして、現在も続く問題であるように思いました。

 「わかったよ。もうたくさんだ。わかったよ」(略)
 「わかったよ」とは「どうせおれはここで死ぬことにきめたんじゃないか。思ったより歩けたからここまでついて来たものの、どうせ皆と一しょには行けないんだ。わかったよ」という意味である。