大江健三郎「死者の奢り」

 僕と女子学生は医学部の死体処理室で死体処理のアルバイトをしていた。濃褐色の液に浸って絡みあった死体の硬く引きしまった感じ、吸収性の濃密さ、それは完全な推移を終えた《物》だ。マスクをかけていても臭気と死臭は浸入して来、時には耐えがたいほどだった。僕は自分がこの仕事に深入りしすぎ、出られなくなるのではないかと思ったが、僕は死者たちと会話する。

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 生きている人間との面倒なかかわりあいが嫌で、死者との平穏な会話に浸る「僕」・・・。他者から好奇心を向けられるたびに、心に鎧をまとっては『どうせ説明しても分からないさ』と、うっとうしく感じます。これはターゲットを「死者」から少し変化させて、そして想像してみることにより、現代の若者に直結するものがうかがえるように思いました。

 生きている人間、意識をそなえている人間は身体の周りに熱い粘液質の膜を持ってい、僕を拒む、と僕は考えた。僕は死者たちの世界に足を踏みいれていたのだ。