大江健三郎「見るまえに跳べ」

 ぼくは女に「若い人間は戦乱をくぐってこそ成長するさ」と気取っていたが、戦場行きの話をもちかけられたとき、うつむいたまま返事をすることが出来なかった。――おれは跳ばない。いつもそうだ。おれは卑劣だ。ぼくは一生跳ぶことはなく、平凡な職につくのだろう。ところが長い梅雨がすぎ、暑い夏がすぎ、秋の学期がはじまった頃、ぼくは青ざめた小さい顔をもつ田川裕子を知った。

見るまえに跳べ (新潮文庫)

見るまえに跳べ (新潮文庫)

 影ではいかにも切れ者のように様々な弁舌をぶちますが、実際の行動が要求されると、途端に周りを見るか、下を見てしまう人間は多いです。作者はそれを日本人全体の問題としてとらえ、作中でアメリカ人にその民俗的な欠点を痛烈に攻撃させます。
 主人公は、そんな自分を変えたいために、愛とはいえない独善的な行動を続けるのですが・・・果たして、どの程度跳ぶことが出来たのでしょうか?「田川裕子の電話」以後数十行の活発さが、とても良かったです。

 Look if you like, but you will have to leap.(略)
 「生活いっぱんさ、なにをやるにも見るまえに跳べということさ。(略)見ているやつと跳ぶやつと二種類ある。」

 おれは現実の壁ぎわまで歩いて行くが、そこから尻尾をまいてひきかえす、いつもそうだ、とぼくは考えた。おれは見てばかりいる、決して跳ばない。おれは卑劣だ。