島尾敏雄「死の棘」

 寄りそってくる妻はもういない。信頼のまなざしはもう認められない。電車を降りて家に帰ると妻はいなかった。女を刺し殺すのだと言っていた顔が、鶏の首を黙ってしめていた孤独な格好が目に浮かぶ。私は二度と行くまいと誓ったはずの、女の家にふたたび向う。このまま引きかえせという怒涛の声も、私を止めることは出来ない。

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

 同名の長編「死の棘」のうちの1編です。粘着性のある水中から浮かび上がろうとしては、またずぷずぷと深みに沈みこみ、もう止めようと思っても止めることが出来ないで、そのまま惰性で繰り返してしまう生活・・・。
 10年に及ぶ裏切りが暴露され、位置関係がそれまでとは全く変わってしまった夫と妻と子たちの様子が描かれます。とても暗い内容ですが、緊張感の持続した果てることのない文脈の山々に込められた、不気味な執念とでもいったものの存在を感じます。そして、そんな生活を送ってきた作者・島尾敏雄の、憤りと絶望に淀みきった精神的末期を感じます。それでも知性は保たれているために、絶望が体を内側からキリキリこすりあげているようで、いたたまれません。崩壊した方が楽なのに・・・。

 これは正に只事ならぬ世界であるが、やりきれないのはいかにもそれが現実的な地獄であることで、病める妻の嫉妬の論理の強靭さは、何ら世のふつうの女房たちの論理と次元を異にするものではなく、それがその同一平面上の極限的なあらわれにすぎぬという恐怖を、読者に与えつづけるのである(三島由紀夫

 あの暗い三日の夜昼のうちに、私は妻の中に、自分の手の中から失いたくないものをみつけた。はじめて彼女をみつけたときのむがむちゅうの陶酔ともちがう。でも長いあいだ妻を置き放しにして、求めていた外での恍惚が、すっかりからだの中から脱け出てはいないことがわずらわしく、こわい。そして運河の汚水のように、いくつものかくれごとの体臭が、あぶくになって不意に表面に上ってくる。

 「もうこれで、おしまい」と、かくれんぼを終らせるように、過去を閉じて、わきの方におしやることは、できないか。