伊藤整「若い詩人の肖像」

 小樽で教師をしていた私は、中央で続々と生れる若い詩人たちに、嫉妬と焦りを感じていた。発表欲が出てきていた私は、詩壇のドングリの末席にでも加わりたかったのである。冬になり、完成した自費出版の詩集を150名ほどの詩人に送ることにした。行為の意味を見失い、恥ずかしさにさいなまれながら、届き始めた返信を読む。その中に、高村光太郎という名前が――。

 誰もが親しみをこめて読める傑作青春小説(長編「若い詩人の肖像」中の一部として読みました)。
 自分の意志をこめた作品を発表した経験を持つ人は、この本を読むことで、その初めての時の気持ちが蘇ることと思います。自意識過剰で、小さな批判が胸を刺すナイーブさ、しかし、ちょっぴり自信もある、そんな像が描かれています。
 話の終盤は文学理論が主になり難解ですが、中盤までの瑞々しさは貴重な財産だと思います。また、当時の「私」がライバル視あるいは感心したいくつかの詩も掲載されていて、それらも同時に楽しめます。

 以前には私は、白秋、露風、惣之助、光太郎、朔太郎などの作品を傲然として批判し、点をつけ、その中から一二篇を僅かに自分のノートに写すという光栄を彼等に与えていた。今では私は、そのずっと下っ端の草野心平などという変な名前の男をも先輩と見なければならないのである。

 静かな午さがりの庭さきに
 父は肥って風船玉の様に籐椅子に乗っかり
 母は半ば老いてその傍に毛糸をば編む
 いま春のぎょうぎょうしも来て啼かない
 此の富裕に病んだ懶《ものう》い風景を
 では誰れがさっきから泣かすのだ
 オトウサンヲキリコロ
 オカアサンヲキリコロ

 それはつき山の奥に咲いている
 黄ろい薔薇の花びらをむしりとり
 又しても泣き濡れて叫ぶ
 此処に見えない憂鬱の顫《ふる》えごえであった
 オトウサンナンカキリコロセ!
 オカアサンナンカキリコロセ!
 ミンナキリコロセ!
   丸山薫「病める庭園」