松本清張「或る「小倉日記」伝」

 母と暮らす耕作は生まれながら障害があり、身体に向けられる世間の好奇と同情の目を知りながら育った。だが学校ではズバ抜けた秀才で、母子はそこに小さな自信を抱いた。生涯唯一の友人・江南の紹介で、耕作は小倉時代の森鴎外の秘密を知り、鴎外の交友を求めようと考える。時には「こんなことに何の意味があるんだろう」と不安に襲われながらも、耕作と母は各所に赴く。

或る「小倉日記」伝 傑作短編集1 (新潮文庫)

或る「小倉日記」伝 傑作短編集1 (新潮文庫)

 森鴎外の跡を懸命に探っていく耕作。その心の揺れと、母をはじめとする支えになる人々の様子が、とても巧みにからめられ、描き重ねられていきます。行き詰まりをみせ、絶望だ、もうダメだ・・・と思ったところに小さなヒントがみつかり、新たな捜索が続いていく、そういった様子は推理小説的にドラマティックです。
 野口英世は不遇を努力によって克服して現代にも伝えられていますが、努力しても努力しても成功することなく、この世を去った人は数多くいることでしょう。彼らが後世に伝えられるかどうかは、その時代において「成功したかどうか」という、ただそれだけの違いに過ぎないのですが、それだけでは「結果の伴わない努力は無意味である」ひいては「勝つためには何をしても構わない」という考えに繋がる可能性があるように思います。そのため、こういった小説は大事であると考えます。

 小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はこれと趣きが変りながらも同じように達意巧者に行き届いた仕上げのできる作者であると思った。(坂口安吾