掘田善衛「曇り日」

 おれの心が屈していたのには2つの理由がある。1つめは、黒い男が雨の中を逃げまくり、白い兵隊と黄色い警官が、その姿を追って、なぶりものにしたのを見たからだ。もう1つは、Qと出会ってしまったせいだ。おれはあのQのことが――やはり、はっきりとその名前を書いておこう、Qというのは、天皇だ。

 下ネタも充実したくだけた口語体によって描かれるのは、人種問題と天皇批判という強烈な話です。特に天皇に対する作者の舌鋒は、中盤以降鋭さを増します。平成の今、天皇家は象徴としての色合いしかありませんが、昭和天皇は異なりました。現在、この作品の力強さは支持されやすいと思いますが、その意味するところは忘れ去られています。時代が進むのは当然ですが、日本人は(国民が割れるのを恐れてか)解決なくして先に行こうとするので、諸外国との間にギャップが生じることになります。

 「これをやらにゃいかん。言論の自由、信教の自由、これにもうひとつ、色の自由が加わるといい。日本は、国際社会へ復帰するについてだ、平和憲法のほかには、なんにも土産にするものがないんだ。憲法と、もうひとつだ、この注射をもってゆけたらいい。そして君は、今朝、えらいショックをうけたらしかったが、少し空想力をはたらかしてだ、あるところに学者がいてだな、今朝みたいな事件にショックをうけてさ、それから一念発起して黒い皮膚が白くなるという薬を発明する、そういう小説を書くんだ。しっかりした話をな、H・G・ウェルズくらいのやつを書くんだ、うわついた、おかしなもんじゃだめだ、それを読むというと、世界中の学者どもがだな、そうだ、こいつはやらにゃならん研究だと、感動してだな、一念発起するくらいの、力のある奴を書くんだ。そしたら君はノーベル賞だ、学者はもちろんもらうだろうが、君ももらう。そうすりゃ、米でも肉でもパンでも買える。」