野間宏「第三十六号」

 刑務所内で私は、第三十六号という番号の男と親しくなった。彼は溜息のつき方(それは独房に奏でられる唯一の音楽であった)や、点呼の返事の仕方などで刑務所慣れした人間を感じさせた。しかし、それが他人を意識したポーズであることは明らかだった。私は彼に鈍感と狡猾と虚栄心とを感じた。それは日本の最下層の生活によって構築され、軍隊的規律によって仕上げられた人間であった。

 発言の自由どころか姿勢の自由すらも与えられなかった当時の刑務所生活。そうした環境が人間に与える抑圧、人間性を失わせていく様子が、前半のいくぶんユーモラスな出来事に引っ張られ、次第に厳しさを増しながら描かれていきます。こうした刑務所での人権蹂躙は決して遠くにありけりなものではなく、独裁国家のあたりでは現在も真っ盛りなものです。結末は大きく異なりますが、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」が持つほろ苦さ・哀しさを思わせる作品です。「暗い絵」はキツいよ、という方にもオススメ。

 彼は彼の半生が彼に教え彼の軍隊生活が彼を導いた真理、怠惰は人生を渉るための確かな方法であり、生存のために必要な要素であるという真理の正しさを、さらに獄の壁によって知らされているのであろう。