梅崎春生「崖」

 私はなるべく目立たない存在に自分をおくことで、摩擦から逃れようと努力していた。なので(なぜ加納は謝らないのか?)と加納への私刑を見ていて、私は思った。機を見て謝れば、それで済む場合があるのだ。彼を支えているのは自尊心と英雄ぶりへの自己陶酔だ。その必死の心が彼の貧しい肉体を支えていた。けれども、そこに私が現れた。私の姿は彼にとって、最も厭らしい影にちがいないのだ。


 たとえばアホな命令をする愚かな人間が上役にいるとして、それに「はいはい」と従って無駄なトラブルを避けようとする人がいる一方で、「それは違うんじゃないでしょうか」と食ってかかり正しい方法を主張する人がいます。彼らはお互いのことをこう呼ぶことでしょう。『ずるい人間!』『馬鹿正直な人間!』。これは彼らの生き方が正面から対決する話です。