愛と文学

壇一雄「母」

父の奮闘のおかげで私には四人の母がいる。その他に、母だかなんだか分からない人もいるのだが、どうでもよい。どの母も父にさんざん殴られていたが、私は、だいたいにおいて満ち足りていた。幸福というやつを信用もしなければ当てにもしない、そして、いつ…

林芙美子「晩菊」

老女・きんの元へ、かつて愛した男・田部が訪ねてくることになった。「別れたあの時よりも若やいでいなければならない」――。自分の老いを感じさせては敗北である。たっぷりと時間をかけて、念入りに身支度を整える。わずかな期待を抱きつつ・・・。晩菊・水…

武田泰淳「「愛」のかたち」

肉体に異常な欠陥を持ちコンプレックスに悩む町子は、生活を保障してくれる夫と、1人の女として遇してくれる光雄との間であぶない橋を渡っていた。ところが光雄という男は人間性を持っておらず、感情ではなくテクニックだけで生活する男であったのだ。それで…

田中英光「野狐」

ひとのいう、(たいへんな女)と同棲して、一年あまり、その間に、何度、逃げようと思ったかしれない。彼女はかつて売春婦であった。私は妻と4人の子供を持つが、桂子との関係において、はじめて愛を知ったといっていい。桂子はうそつきで、でたらめで、強欲…

武田麟太郎「銀座八丁」

勤め先のマダム・あき子は昨夜泥酔のあげくに発病したらしく、すっかり元気をなくした様子。店の内情を知るバーテン藤山は、表立ってはマダムに媚びながら、いつも身の振り方を考えていた。その場合、彼女及び店の資金源である内田、このお人よしを利用しな…

嘉村磯多「崖の下」

駆け落ちの男女が見つけたのは、崖の下にある家だった。家の南側に絶壁があり、崖崩れが起きようものならひとたまりもない。近所には崖崩れで圧死した人も出たというが、彼らの最後の場所としては適当だろう。寝転んでは天井をにらむ日々。明日に、前途に、…

太宰治「桜桃」

夫はジョークをいい、妻も愛想がよい。子供たちは元気で、忙しくも楽しい食卓の風景。けれども妻が発した何気ない一言が、彼らの仮面を1枚はぎとった。悩みの深さを笑いに変え、必死に生きる父親の心。それは、子供たちより、脆くて、弱い。ヴィヨンの妻・…

武田泰淳「愛と誓い」

「誓います」との言葉に縛られて生きる男、矢走僕夫の懊悩の様子。誓いを守ることに必死な彼を殺すために、運命の矢が残酷に襲ってくる。キリスト教は迫害され、真の愛について苦悩する。誓いが必要とされる愛は、まだ未熟な愛ではないだろうか。誓いの札び…