黒い微笑

石原慎太郎「殺人教室」

南条健一、東郷康夫、北見道也、西田徳治。彼らは見事なまでに模範的な学生だった。強いて気になる点があるとすれば、時折口にする「退屈だなあ」という言葉くらいのものだった。彼らは、ある時それぞれの技術を持ち寄って鉄砲を作り上げ、「メフィスト」と…

織田作之助「ニコ狆先生」

私はこのたび感ずるところあってニコ狆先生の門弟となった。ニコ狆先生またの名を狆クシャといい、甲賀流忍術の達人である。先生の顔は犬の狆がクシャミをするときによく似ている。先生の妙齢のご令嬢、美しい、美し過ぎる千代子さんとは、トンビと鷹の親子…

帯正子「可愛い娘」

その名高い病院は、なんということもない明るい空の下にたっていた。まるで授業の終った校舎というかんじである。かっぽう着の掃除のおばさんが床をふいている。どうも、かっぽう着は同じところを、ゆっくりと拭いているだけのようだ。私は、待った。まだ同…

梅崎春生「ボロ家の春秋」

僕が借りている家に突然、野呂旅人という男がやってきました。そんな話は聞いちゃいませんでしたが、どうやら二人とも貸主に騙されたらしい。僕らは被害者同士で気持ちを通じ合わせたのですが、この友好関係は長続きしませんでした。この野呂は嫌がらせが好…

梅崎春生「山名の場合」

山名申吉は、いつも同僚の五味司郎太とセットで扱われていました。いずれも三十一歳、背丈低く、独身、国語教師、職員室での机も隣同士で、月給の額までぴたりと一致していたのです。山名はいつしか五味をぼんやりと憎むようになりました。同類意識、競争意…

中島敦「夫婦」

大人しいギラ・コシサンの妻・エビルは浮気者だったので、異常な焼餅焼であった。この地方には喧嘩で勝った方が正義となるしきたりがある。怪力エビルは全勝し、彼女の情事は正しいことになった。ああ、哀れな夫よ。だがある日、ギラ・コシサンは美人のリメ…

矢田津世子「旅役者の妻より」

あね様。おたよりせなんだ約百日ばかりの間、言葉につくせぬ苦労をなめました・・・。わたくしは産後の体調優れず、良人は舞台で卒倒して以来回復せず、悲惨と申すほかありません。ああ、何度親子心中を考えたかしれません。たくさん金儲けした親戚たちも、…

中島敦「名人伝」

弓の名人になろうと志を立てた紀昌は、名人・飛衛に弟子入りした。飛衛は、まず瞬きせざることを学べと命じた。紀昌は修行した。2年の後、鋭利な刃物が目先を通っても瞬きをせぬまでになった。彼のまぶたはそれを閉じさせる筋肉の使用法を忘れ、睫毛と睫毛の…

中島敦「文字禍」

老博士ナブ・アヘ・エリバはアシュル・バニ・アパル大王の命により、「文字の精霊」についての研究を始めた。博士は図書館で瓦の内容を調べ、終日それを凝視していたが、そのうちにおかしな事が起った。一つの文字を見詰めている中に、いつしか文字が解体し…

由紀しげ子「本の話」

姉からの手紙を読んで出かけると、姉を看病していた義兄の死に目にあった。彼は姉を看病したあげく、栄養失調で亡くなった。唯一の遺品は、数百冊の本である。義兄のためにも私は、この本を高く売らなければならない。だが、私には本の価値が分からない。全…

太宰治「トカトントン」

日本の敗戦を知ったその日、絶望に「死のう」と決意したとき以来のことです。どこかからトカトントンという音が聞こえてきたとたんに、私は感情を失ってしまうのです。トカトントン、仕事中にもトカトントン、デート中にもトカトントン。とたんにこんなこと…

牧野信一「酒盗人」

連日連夜の飲み会により、とうとう酒樽が空になった。酒の主・音無家からもらってくるさ!と僕は気軽に請合うが、どうやらもう貸しは作れないらしい。せっかくみんなで貯めた金銭も、立て替え代金以上にはならないようだ。音無の奴め。・・・よし、攻め入ろ…

椎名麟三「深尾正治の手記」

全く僕はどうかしてしまったのだ。まるでこの宿に百年もいるような気がするのだ。自分が追われているという切実感もない。ここは永劫の牢獄である。しかも僕はいつまでここにいるのかも判らない。そしてなぜか僕はここの住人との関係がうまくいかないのだ。…

牧野信一「夜見の巻 「吾ガ昆虫採集記」の一節」

人はゼーロンと私との関係を仲が良いと勘違いしているが、とんでもない、ヤツは私の宿敵である。見るだけで腹が立つ。だが、この若者の前ではしっかりとしたところを見せておこう。軽やかに発足の合図をかけたのだが、ゼーロンが再び歩き出すのは私の「動」…

牧野信一「鬼の門」

村人のほとんどは村名物の暴風に備えて、今まさに懸命に養生しているのだ。のんきに本を読んでいる暇はないのだが、私は本の中に生きる冒険者である。破産はしていたが「華やかなる武士道」に生きているのだ。・・・屋根の上の敵襲に対し、先祖が着けていた…

牧野信一「剥製」

ある日、疎遠になっていた母から「法要のため帰りなさい」との手紙が届いた。道のりは遠いため急がなければならないが、神経性の病に加えて貧弱な私の歩みは遅れる一方だ。同行者は私に老馬・Zの前を歩かせることにしたが、いつもZを苛めていた私は、やつに…

牧野信一「西部劇通信」

この写真を御覧。一見すると、まさにアメリカ・インディアンの屯所と見られるだろうが、よくよく見ると僕をはじめ君の知っている顔があるだろう。ここの人たちは僕が着ているインディアン・ガウンを見て、「おお、都の流行スタイルはこれか!」ととりちがえ…